善峯寺宝館展示品と企画展

令和2年春期企画展ならび、寺宝館の主な展示品の紹介です。


開館日と時間は「善峯寺の行事」をご覧ください。

令和2年 春期企画展
新元号「令和」特別展 ―皇室と善峯寺との関わり― 

皇室と善峯寺との関わり

皇室と善峯寺との関わりは、創建間もない長元7(1034)年に後一条天皇から勅願所と定められたことに始まります。
慈鎮和尚により、平安後期以降における皇室との関わりが深まります。まず慈鎮和尚の受法の師である青蓮院の覚快法親王が境内に葬られました。のちに慈鎮和尚の写瓶弟子である道覚法親王をはじめ、青蓮院より慈道、尊円、尊道各親王もご住山されました。その各親王は境内に埋葬され、現在は宮内庁の青蓮院宮墓地となっています。
江戸時代以降は親王のご住山はなかったものの、青蓮院門跡寺務所であったことから、青蓮院とのつながりは深く、尊證、尊祐、尊真、尊寶各親王の供養塔が祀られます。また、天皇崩御の際に諷経僧を勤めた記録が日記からも読み取れ、皇室との深い関わりが見られます。
今回は新天皇即位を記念して、善峯寺に伝わる明正天皇、霊元天皇、青蓮院法親王など皇室ゆかりの品を展示いたします。

企画展の主な展示品

渡唐天神画像

菅原道真が中国に渡り、禅僧・無準師範の弟子になったという伝説を図像化したもので、道服を着け、一枝の梅花を持つ姿で描かれます。明正天皇の筆とされ、女性らしい柔らかな雰囲気の作品です。

黒漆梅花文硯蓋

硯蓋とは花や果物・肴などを載せるためのお盆のようなものです。霊元天皇の中宮で東山天皇の養母であった新上西門院の寄進とされています。梅花と姫小松が蒔絵で描かれた女性らしい華やかさを感じさせる作品です。

尊円法親王筆「門々不同」

阿弥陀仏を讃嘆した詩文である『般舟讃』の一部を書いたもの。尊円法親王は伏見天皇の第五皇子で、天台座主や青蓮院門主に任じられ、当寺に住しました。書に秀で、尊円法親王の書体は徳川幕府の公文書に指定され、御家流と呼ばれるようになります。

令和2年春期
主な展示品(桂昌院ゆかりの品以外)

梨地金蒔絵花菱繋文に丸紋提重

提重(さげじゅう)とは、持ち運び可能なように、重箱・徳利・皿などをひとつの枠組みに収めたもの。本作は八角形を二つ並べた形で蒔絵も華やかな提重となっています。

古清水菊文水筒

江戸時代中頃から社寺への参詣、能・歌舞伎などの見物が流行し、水筒など持ち運びをするための飲食器が多くつくられるようになりました。本作は青と緑の釉薬で菊と流水文が描かれます。菊花を大きく配した華やかで清々しい作品です。

など

令和2年春期
主な桂昌院ゆかりの品

徳川綱吉朱印状ならびに梨地金蒔絵葵紋朱印箱

当寺には元禄10年(1697)に徳川綱吉により、寺領二百石の加増を伝える朱印状が発給されて以来、十四代将軍徳川家茂まで代々、寺領安堵の朱印状が発給されています。また、全面を梨地とし、金蒔絵で大きく葵紋を施した朱印箱も残されています。

金剛鈴ならびに金剛杵など密教法具一式

金銅製の宝塔・独鈷・三鈷・五鈷・宝珠の鈴と杵・羯磨など。宝塔鈴は高欄、宝鎖、風鐸を具備するなど、細部に及ぶ精巧な細工は、鈴身を飾る寺紋と相まって、桂昌院寄進の確かさを裏づけています。

四面器

大壇上に置く密教法具です。観音堂の大壇や護摩堂の護摩壇で用いられました。

観世音菩薩画像

徳川綱吉が描き、桂昌院により当寺に寄進された観世音菩薩立像の掛軸です。当寺の立像と一対のものとして、桂昌院中興の西岩倉山金蔵寺(京都市西京区)には観世音菩薩座像の掛軸が寄進されました。

三具足

華瓶(けびょう)、香炉、燭台をあわせて三具足といいます。もともとは江戸城の桂昌院の住まいであった、三之丸の持仏堂に荘厳されていたものが、桂昌院の死後、当寺阿弥陀堂の桂昌院の位牌の前に供えるよう寄進されました。それぞれに葵紋があしらわれています。

など

※展示品は諸般の事情により変更することがあります。

寺宝館外観

寺宝館外観

寺宝館館内

寺宝館館内

善峯だより

交通・アクセス

拝観のご案内