お年頃でなくても女性なら必読!!
玉の輿(こし)に乗れるありがた〜い情報
| 仏画家 藤野正観 | |||||||
善峯(よしみね)寺の出世薬師さんにお願いしよう 情熱的で一途な恋愛。理想の男性と楽しく時にはせつなく、映画の1シーンのような青春時代を過ごしたい――。年頃の女性なら誰もがそう願うに違いない。 しかし、いざ、結婚となると「チョット待てよ、私の旦那さんはこの人で良いのかしら・・・。このままこの人と結婚生活に突入して生活はどんなかしら・・・。」と妙に、冷静に欲深く考え込んでいるのが、今も昔も変わらぬ結婚を控えた女性の女心である――。
将軍に輿入れした「お玉さん」が、身分の高い人しか乗れない「輿」に乗るようになったことから「玉の輿」という言葉が生まれたのだが、女子大生達は、それにあやかろうと「玉の輿」を担いでいるに違いない。 では、そのお玉さんとは、どんな女性なのだろうか、お話は三百年ほど昔にさかのぼる――。 善峯寺――。西国二十番札所として、その名を知られる天台系単立寺院である。今も昔も人影が耐えることはない。 洛西・西山の中腹に広大な伽藍を構える。その一角に、三代将軍家光夫人、桂昌院の「廟」がある。 八百屋の娘であった桂昌院が、豊臣秀吉と同じ従一位に任ぜられ、この寺をはじめ、応仁の乱で焼けた数々の寺の再興に尽すまでの不思議な運命が三百年を経たその「廟」が物語ってくれる――。 京都は堀川西藪屋町のあたりに、仁佐衛門と云う八百屋がいたそうな。嫁とりをして何年にも成るのに、いっこう子宝に恵まれない。 貧しい商家であっても老い先を考えるとさびしいものだ・・・。 思い余った仁佐衛門夫婦は日頃信仰している、西山・善峯寺の観音様にお参りしたそうな。 「どうぞ子供をお授け下さいませ。」と参篭、水ごもりもしたおかげか、願いが叶い、やがて生まれたのが玉のような女の子。名を、これまた「たま」と名づけ、大事に育てたそうな。 お玉は近所でも評判の器量よし。 目元はすずやか、鼻筋も通り、まるで京人形のような女の子。仁佐衛門は目の中に入れても痛くないほどのかわいがりようだったそうな――。
「観音様のおかげでこれまでにして頂いた――。」信仰深い桂昌院は、善峯寺に何度も詣で。応仁の乱で焼失した寺を立派に再興しました。 桂昌院は宝永二年(1705)六月二十二日 七十九歳で亡くなりますが、善峯寺ではその恩に報いるため、遺髪を境内に納め、桂昌院廟としておまつりし、毎年六月二十二日には遠忌法要を営み、彼女の数多くの一級品持物は寺宝館文珠堂にて大切に保管され春と秋には、特別公開しています。 万世を 十かかり経ても 尽せじと 君が恵みの 南無観世音
お玉が善峯寺の観音様と薬師さんに献じた歌と伝えられている。 玉の輿にのる――。こんな伝説がいつの頃からか口から口へと伝わり、善峯寺にお参りする若い女性が後を絶たないのも納得できるお話しではある。 さてさて、読者の女性諸君、今からでも遅くありません。よしみねさんまでおまいりお参り――。
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