西暦2003年1月、48号より



P4より
吾が人生のパノラマ W
                                

善峯寺住職  掃部光暢

 人生に於て、お釈迦さまは、四苦ありと申されて居られます。生れたら必ず死有り、その問に、なぜ死に至るか、死の原因は何か、何れも因あり、縁あり、果ありと、申されて居られます。お釈迦さまの教えは、インドに始まり、中国に渡り、直接日本に来たり、朝鮮を通って日本に来たものです。一番始めは、聖徳太子、其の当時この仏教を採用するか、しないかに、国が揉めたものですが、太子はこれを採用されて、憲法十七条まで作られたので有ります。
厚く三宝を敬え、大変結構な教で有りました。
やがて時代と共に仏教が盛んに成った事も、歴史を繙けば明瞭であります。歴史は歴史なれど、吾が人生のパノラマは何処に?

又一銭五厘の臨時招集と」二回目のお呼ぜ出し、歩兵二三連隊に応召、同口純第九八四五部隊に転属、一月二十四日屯営出発、一月二十六日門司港出発、一月三十日台湾高雄上陸、二回は満州なれど、三回目は南方雷州半島に上陸、城月、遂渓攻略戦斗、二月二十一日より七月十五日遂渓附近警備並びに戦斗に従事す。

 この間馬百頭、車六十車、馬は何れも九州附近の徴発馬にして雌馬も居る、兵舎とて無く臨時作製した馬小屋、馬糧も少い、噛む、拭る大変な事だった。
其の上夜行軍ばかりで有る。食べ物とて畑の大根を頂戴し、又所々に小屋あり、黒砂糖失敬して雑嚢に入れる、流れ出る大変因る。
約半歳間の辛棒であった。幸運が訪れたのである。お前等は永年ご苦労であった、五人程転属を命ず、やっと台湾迄帰って来た。これ程の安堵は無い。今で言ふのだが、御本尊観世音菩薩のお導である。

 所で台湾に着くや、大変な事だ、台湾全土に召集、B29何十機内地空襲、グラマン機の掃射、安閑とはして居られない。台北部隊より、花蓮港に移転、花蓮港中学校庭で蛸穴生活、これ程恐ろしい事はない。早速横穴生活が始まった。
穴を掘り、枠を入れの連続だ。やれやれと何十米と、安堵の日々で有る。

 時々B29の編隊がビラ(宣伝)降下さす。日く、疎開の用意は出来ましたか?、爆弾落下しても建物は、鉄筋やら煉瓦で、とかく害は少ない。又日く捕虜は安泰だから安心あれと。全く茫然とするのみで有る。台湾では全員指揮を鼓舞する為に、飛行場作り、何百人か、畚(もっこ)で土を運び、地を均す。飛べない模型の飛行機を置けど、何知らぬ様子である。
兵隊がぼちぼち逃亡する。戦斗と雖ども弾がない。物量の米国と、皆無の日本と毎日茫然の日を送る情けなさ。
日本の空襲は益々激しいとのこと云々。 
次回パノラマ、其の五へ

南無阿弥陀仏     合掌

P6より

雨降りの傘
掃部光昭

 
 「借りた傘、雨が止んだら邪魔になる。親の恩、嫁を貰えば邪魔になる」、こんな言葉を最近新聞で目にしました。
 なるほど、雨が降り出したときに貸してもらった傘は、実にありがたいものです。ところが、雨が止むと途端にこの傘が邪魔になってしまいます。そして、お礼を言うことは、おろか、その傘を返すのを忘れてしまうのです。先日、車を運転している時、聞くともなく聞いたラジオの投書番組で、中年の女性のこんな告白を耳にしました。

 それは、およそ二十年ほど前の夏の夕方のこと。突然、降りだした雨に、あわてて洗濯物を取り込もうと庭先に出た彼女は、向かいの家の軒先にたたずむ一人の少年を目にしました。見れば少年は、小脇にはさんだ新聞の束を濡らさないようにしっかりと抱えています。
家計を助けるためのアルバイトなのでしょう。彼女は、この新聞配達の少年に同情しました。「傘を貸してあげよう」と思い、急いで家の中に戻りました。
そして新しい傘を手にした時、ふと考えたのです。「でも、貸して返ってこなかったらどうしよう」、そう思い直した彼女は、隅の方にある誰も使わなくなった古い番傘を選んだのです。「これなら捨てるつもりだから惜しくないわ」。そんな彼女の思惑など知らない少年は、「ありがとう」とお礼を言うと、元気よく駆け出して行きました。
 そして、翌日のこと、「ごめんください」という声に玄関に出てみると、昨日の少年が立っています。「昨日はありがとうございました」そういって差し出された番傘に、彼女は、「いいえ」というのが精いっぱいだったのです。
そして少年の帰った後、その傘を開いてみると、やぶれた所に、きれいに紙が貼ってありました。少年のお母さんが修繕してくれたのでしょうか。
彼女は、昨日の自分が恥ずかしくなりました。「私は、なんてつまらない考えを起こしたんだろう」と思ったのです。
そして、こんな態度のとれる少年の家庭をうらやましく思わずにいられなかったそうです。

 たとえ貧しくても、人の善意に素直に感謝した少年の態度は、この女性の心に爽やかな風を送り込みました。そして、自分も、こんなふうに子供を育てる母親でありたいと思ったそうです。

 あれから二十年、少年も今では成長して、社会でりっぱに活躍しているでことしょう。お嫁さんももらい、子供もいるかもしれません。いつまでも恩を大切にし、次の世代にも、心のあたたかさを伝える人であって欲しいと思います。


P13より
雑魚に教わる 

           谷川冬二

 子どもを育てていると思わぬ知識を拾うことがあります。子どもがらみであれこれと興味が広がり、独り者の暮らしには関わりがなかったことが目に飛び込んできます。

 少年時代の私にとって、善峯さんとの御縁を作ってくれた今は亡き父が年に一度かせいぜい二度連れて行ってくれるトンネルの向こうの琵琶湖はまさに夢の湖でした。
贅沢が許されるときは浜大津の宿に泊まり、翌朝、汽船が発着を始める前の木製の桟橋で、航の回りに集まるボテやモロコや小ブナなどの小魚を小さな鈎で掛ける。数を釣るのが目的ではない。そんな雑魚釣りを楽しさをいっぱい味わいました。当時は、カイツブリが餌の小魚を狙ってさかんに潜っていました。港を外れて浜へ行けばカラスガイの殻がいたるところに散らばっていました。
 しかし、もうおそらく十年ちかく前になりますが、能登川で糸を垂らしたときのこと。
仕掛けを投入すると、そのまま浮子が沈み込んでいきます。おかしいと思って上げると、ブルーギルが袖型の三号鈎を飲み込んでいました。そんなことを何度か繰り返して竿を納めました。
愕然とした、というのは誇張ではありません。おじいちゃんにこんなことを教えてもらったよ、と息子に言えなくなったことを悟ったのです。

 琵琶湖の南端、昔の鳰の浜には今カイツブリではなくトビが群れています。魚が大型のブルーギルやブラックバスに変えられたからです。かつて鳰と呼ばれ浜に名を与えたカイツブリですが自分の体はどもある魚を餌には出来ません。
タニシはいますが二枚貝の姿は見かけません。湖底の様子が変えられたから。二枚貝がいないと、ひれで貝の幼生を運び、かわりにその成貝のえらに卵を産むタナゴの類は生きられません。ボテの正式名はアブラボテ、タナゴの仲間です。
 琵琶湖の問題が扱われるとき、ブラックバス釣りの是非に棲小化されて論じられることが多いのですが、しかし、それは釣り方による環境汚染、外来種による生態系の破壊などいくつもの異なった相を持っていて、知れば知るほど深刻な話なのです。

 ブラックバス釣りが環境汚染につながるいちばん深刻な点は、よく言われるような糸やごみの問題ではありません。ワームと呼ばれる疑似飼が可塑剤と塩を混ぜた塩化ビニールでできていることです。可塑剤は一兆分の一グラム単位で生物の性の仕組みを害する内分泌撹乱化学物質いわゆる 「環境ホルモン」 として働きます。
「環境ホルモン」 はオスの魚の精巣に卵子を作ったり、貝頴をメス化させることで知られます。代表的なものはフタル酸エステル類あるいはアジピン酸エステル類ですが、ワームの成分表示など見たことがなく、実態は不明です。しかし、軟質塩ビは劣化していくとき、混ぜられている可塑剤や塩を必ず水中に溶かしこみます。
10月29日付の『京都新聞』には、かつての鳰の浜から引き上げられた六十キロばかりのワーム類の写真が載っていました。「全体の何万分の一 だそうです。

 琵琶湖だけではありません。上水道の水源池にも、日ごとこれらの有害物質が投げ入れられています。ある釣り雑誌は、京都府の日吉ダムを「釣り人を快く迎えてくれるフィールド」として紹介しています。
とんでもないことです。
毎日飲む水の源でさえこんな有様ですから、近所の人しか親しみがない農業用溜池や川となると、もう完全に野放しです。
 最近、ブラックバスの仲間で清流域に棲むコクチバスの密放流が横行しています。
小口、すなわちスモールマウスですからこれらを釣りたい人はスモールと愛情を込めて呼ぶのですが、この魚がこのまま広がると、今度は河川の上中流域に暮らすアユやヤマメたちが食害されるだけでなく、ワームの問題ガ深刻化することでしよう。
 子どもたちのために買った図鑑にカワシンジユガイという本州中部より北の清流に棲む貝が載っていました。私たちの二枚貝と同じく魚と共生しています。清流の貝ですから、相手はイワナやヤマメです。すごく成長が遅い貝で、なんと百年以上も生きると考えられています。
日露戦争の頃に生まれ、関東大震災や二度の世界大戦をはじめ数々の人界の災禍を知らずに静かな流れの中で生き延びてきた貝が、共に生きてきた仲間をこんな形で突然奪われて命を次の世代につなぐ方法を絶たれる。
未来からの借り物である自然が、特に悪人というわけではないはずの普通の善い人の楽しみのために壊されていく。
 どうしてこうなるのだろう。別に私自身はもうメス化してもかまわないのですが、子どもたちが受け縦ぐ世界だと思うとそう呑気に構えるわけにいかず、どうしてを突き止めてどうあるべきかを考える時が迫っているのかな、とつくづく想うこのごろです。


編集後記

 他人に自分の欠点を指摘されるのは、決して愉快なことではありません。時には「余計なお世話」 と腹の立つことさえあります。
 しかし、こちらのためを思ってくれると感じたら、あまり我を張るのは考えものです。やたら、拒否反応を示すばかりでは、「この人は度し難い」と相手からもソツポを向かれてしまいます。
〈度す)とは〈救う)という意味の仏教語です。
いくら、仏様のような人でも、相手にその気がないと救う手立てがありません。
欠点は誰にでもあります。それも他人から指摘されて、初めて気づく場合が多いのです。心に「よくぞ注意してくれた」 というゆとりを持ちましょう。
そう心がければ、たとえ悪口と思える言葉でさえ、こちらの受け取り方しだいで善言にも転じてくるのです。
あの時いわれた一言に、いつまでもこだわるより、今ではそれが心の道標になったと思える生き方を求めてください。
人間、いわれるうちが花という言葉もありますから・・・・。
南無観世音菩薩――(副住職)


戻る