西暦2002年冬、46号より

P4より
吾が人生のパノラマ U
                                
善峯寺住職  掃部光暢

四條畷中学5年生
のご住職「松本弘暢」
吾れ、小僧となる前の、洟垂(はなた)れ小僧時代の思い出も、欠かせない。
生たちは、一Km西には、淀川が流れ、枚方より下五KM位の田圃地、淀川の水面が、当地より高いので、水を淀川から引く、即ち、運河である。この運河の水を引いて小川となり、常に川と生活を共にする楽しい時代でありました。 
小僧の名は勿体無い、餓鬼時代の方が、適当かと思ふ。

 四つ身の絣の着物を着、この着物は、兄の譲りもの、兄は三つ歳上で、私よりも背も高く、縫いあげ大きいし、動作には、さほど困難はない。
四身には袂(たもと)がないが、縫いあげが大きい。貴重な入れものであった。おやつなんて、上品でなく、なんどの入れものである。即ち、あられ、かた豆等の収納所で手と口の取り引である。
 餓鬼時代も夢の如く過ぎ、やがて小学校五・六年には、中学校入学の為、勉強せねばならない。当時代も担任の先生が、五・六年に、放課後学校近くのお寺で、準備教育をして下さった。昔の寺子屋か?、近年も、家庭教師をお願いして、幼稚園より勉学に励む時代となった。
 お影さまで、中学に入学出来た。中学校までは、約六Km余の道で、自転車で通った。学校は飯盛山の麓、楠正行戦死の場所、四條畷中学校である。
縁に依って、中学四年の時、愈々お寺入門となり、善峯寺にて得度式と成り、四月桜花満開に檀信徒さまの披露と成りました。この寺たるや、田舎の山奥で、海抜は飯盛山より五〇米程高い、縁とは異なもの、えらい所だなあと!、感激した当時だった。
 其の後、中学五年を終了して、比叡山学院に入学し、仏道修行三年間、其の間、寮生活、朝・夕のお勤め、三年やると身に付くもので、厳しさも味わい、終了した。
 然して昭和十三年、突然赤紙と成る。支那事変、三回の赤紙、七年余の軍隊生活は次回にして、吾常にご本尊観音さまに護られて、生かされて、生きている、有り難き極みであります。

南無観世音菩薩    合掌

P10より

観音様をお参りして
平山しずゑ

  今日は、朝から善峯寺様のお世話で、西国観音霊場二十二番札所総持寺さん、二十三番札所
勝尾寺さん、二十四番札所中山寺さんの三ケ寺を、お参りすることに恵まれ、主人とともに、ご一緒させて頂きました。
私も今年の春から、善峯講の皆様と御一緒に、兵庫県の二十五番札所清水寺さんと、二十六番札所一乗寺さんを、お参りさせて頂きました。
観音様のことはよく解りませんでしたが、主人が仏教について少し勉強しておりましたので、いろいろと教えてもらいました。観音様は、仏に成る資格を持ちながら、時や、所や、相手に応じて、三十三の姿に身を変え、私達に救いの手を差し伸べられておられるそうです。観音様の、あの美しい姿に、思わず両手を合わせずにいられない、不思議なちからは、何なんでしょう…… お参りを済ませた後の、さわやかさと、あの温もりは、一体何処から来るのでしょうか……。

 扨、善峯寺さんを出発して約一時間余りで、最初の目的地二十二番札所総持寺さんに着きました。細い道で、バス一台通るのがやっとです。
石段を上がると目の前に、立派な仁王門があり、両脇の仁王様が、私達を迎えて下さいました。
仁王門を通り抜けた所で、お寺の方が、私達一行を本堂に案内して下さいました。
本堂でのお参りを済ませた後、御住職様に、このお寺に伝わる亀についての、有り難いお話しをお聞きしました。このお寺では、亀を非常に大事にしていらっしやいます。
ここの観音様は、千手十一面観世音菩薩様で、亀の台座の上に安置されているのが、珍しいと言っておられました。
この総持寺さんは、市街地の中にありながら、静かな佇まいが印象的でした。

 バスは総持寺さんを後に、一路箕面の二十三番札所勝尾寺さんに向って行きます。紅葉で有名を箕面公園の景色を見ながら、ドライブウェイを進んで行きます。紅葉には少し早すぎましたが、車窓からの眺めは何んとも言えない美しさで、心も安らぎました。やがてバスは、ドライブウェイを過ぎ、谷川沿いを走って行くと目の前に、勝尾寺さんの壮大な伽藍が目にはいり、私達一行を迎えて下さいました。
手入れの行きとどいた庭は、身も心も洗われる想いです。
参道をしばらく歩いて行くと、やがて本堂に着きます。本堂の奥には多宝塔や、大師堂等が、散在しています。
 今日は、観光客の方も多く、境内は大変賑わっていました。御住職様の案内で、本堂に入りました。この本堂は最近改修工事をなさったそうで、大変美しく、壮大でした。
お参りを済ますと御住職様は、私達の為に、御本尊である十一面千手観世音菩薩様を安置されている、厨子の扉をお開きになられました。
それはそれはとても立派な観音様が、やさしいお姿で私達の前に現れ、ほほえんでいらっしやいました。
千の手で私達を救って下さると言う観音様に、思わず両手を合わせておりました。勝尾寺さんの御住職様も私達の為に、有り難いお話しをして下さいました。
人々は全ての物体と何等かの係わりを持っている。よって全てに感謝の心を持ち、人には人に、物には物に、感謝の気持が大きければ大きい程、その人の人生は豊かであろう……と。
私は感謝と言う言葉の尊さを胸に深く受け止め、勝尾寺さんを後にしました。
途中で昼食を済ませ、
今日最後にお参りする二十四番札所中山寺さんは、宝塚市にあります。
市街地を通り抜け、やがて阪急中山駅近くの駐車場にバスを止め、商店の連なる道を少し上がって行きます。
この参道は若いご夫婦の方が多く、安産を願う人々で賑っています。石投の右側に、足の不自由な参拝者の為でしょうか、エスカレーターが設置され、時代の変化を感じさせられました。石段を上がりきった所に五百羅漢さんの堂があり、中には八百体の像が祀られているそうです。最後の石段を上がると本堂があり、御本尊様十一面観世音菩薩様に、善峯講の皆様と、今日最後のお参りをさせて頂きました。
 天候に恵まれ、すがすがしい気持で、今日一日、善峯講の皆様と御一緒させて頂きましたことを感謝致しております。ありがとうございました。 


P5

正月始め
          
 掃部光昭

 季節感がうすれたとはいっても、やはり年の瀬になると何となくあわただしさが漂い始めます。しかしそれも実際には年末年始の休みをひかえ、それまでに諸事片づけておくといった意味あいの方が強く、新年を迎えるために準備を整えるという意識は徐々に失われています。
正月の準備は十二月十三日から始まり、この日は正月事始めといってまず願払い、つまり大掃除が行われる。いまでも年末に一家総出で大掃除をする家庭は多いが、本来は新年に来臨する歳街触(その年の福徳を守る神)を迎えるため家の中の穢れを祓うという目的もあったようです。
またこの日、主家に餅を届ける風習もあり、事始めの餅といって祇園や上方芸人たちの間で行われていました。この事始めの餅は、実は歳暮に通じるものと思われます。歳暮は中元と並んでいまでも贈答儀礼の中心として広く行われていますが、古くは米や魚などの食物を目上の人に贈ることが多かった。
歳暮は歳徳神への供え物であるという認識が強かったためで、単に主家や得意先に対する感謝の意をこめるということにとどまらなかったのです。
 神への供え物という点ではお節料理も同様で、三が日神・仏・とともに同じ食事をするという意味がこめられていました。
 このように正月準備とは結局のところ、歳徳様を迎えるため身の回りを清浄にし、その供え物を整えるための作業であり、これほど長期の準備期間を設けるのは、神・仏の来臨を強く願ってのことであります。
 日本人ほど年末の行事を数多く持っている民族は少ないのです。それほど私たちは正月を大切にしていたのです。旧暦時の一月は春であり、すべてのものが新しく始まるという意識が生活習慣のなかに深く根づいていたことを物語っています。
 さてこの様に正月始め、家のなかも心のなかも大掃除、いよいよ平成十三年ともお別れですね。うれしいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいこともみなさんあったことと思います。けれども、除夜の鐘と一緒にみんな過ぎ去っていくのです。

 除夜の鐘はいくつつくか知っておいでですか。百八っつくのです。それは、人間には汚い心が百八つもあるからなのです。欲深い貪欲な心、怒り憎む心、神さま仏様を信じないで疑っている心、自分の立場だけを押し通す強情な心、と数えていくと百八つあるとお釈迦様が申されています。そういういやな心は全部捨てて、清いきれいな心で新年を迎えたいと祈って家中をお掃除し、除夜の鐘をつくのです。
 さあ、この年の暮れに家のなかも大掃除し、汚れた心は善峯寺の除夜の鐘とともに掃き去って、清らかな観音様の心でよき新年を迎えようではありませんか。


P14より

何故 善峯寺 
 

          善峯寺仏画教室生徒牛腸延子
  私は、埼玉県入間市に住んでいます。本年九月より、月二回(新幹線での日帰り)の善峯寺への入山……、 ですが、仏教の修行では、ありません。
還暦を過ぎ、あと、一年(正確には八ケ月) で六五才を迎えます。自分の生きて来た道を振りかえり、ある女子マラソン選手の言葉を拝借して、『良くがんばった自分に褒美を上げたい』。

行政書士の仕事三十数年、書士会より表彰をいたゞきましたが、六五才の記念に、もっと何かを、宝石、又は旅行?ホームページで行きたい所を、まず、モロッコ、アメリカと調べ、アメリカに決まり、申込をしました。けれど、何故かすっきり致しません。
 もう一度調べている内に、仏画にぶつかりました。
そうだ、自分を仏画で菩薩様を表現してみようと思いました。
希望として、菩薩様の様に、心の広い人。そこで、絵ごころある妹に自画像をたのみましたが断られました。
では、自分で描いて見よう。
 藤野正観先生のホームページを拝見している内に、どうしても善峯寺へ行きたくなりました。
そうだ京都へ行こう。
アメリカ行きは、中止、暫くして、テレビにテロ事件が放映。エツーと、驚きました。
私は、特別な信仰はありませんが、先代の仏様をお守りりしているだけです。
何故か、善峯寺の菩薩様が私を奪って下さった様な気がしました。
 仏画教室へ、初めておとずれた日、又、不思議!道中、足の痛み(稔挫)が強くなったので、茶屋(よしみね乃里) で休んで帰ろうと思案している時、善峯寺の副住職様との出会いでした。
 やさしく会釈されて、お寺へとお帰りになられました。
私は、見えない糸に、導かれる様に(茶屋の方が車で送って下さったのです。
この場をお借りして、ありがとうございました。)
 仏画教室、書院へと、・・・・・ホームページで、拝見して想像はしていましたが、お会いし、おはなしをすると、想像以上にすばらしい、藤野正観先生で菩薩様の様でした。
今、考えますと、茶屋で帰らなくて良かったと思います。
 そして、善峯寺住職様、副住職様にも、おめにかゝれ感動いたしました。
 書院での写仏、 シーンと、静寂の中、ほのかに御香のかおり心の安らぎでしょう。
 皆様は、充実感、幸福感に満ちたお顔で、夢中になって、写仏を描いていられました。私も夢中になりました。
 今まで、京都へは、何十回となく来ていましたが、こんなにも夢中になれる写仏が、有る事、知りませんでした。
″何故善峯寺″それは夢中になれるものがあるからです。

仏画が完成した時、充実感、幸福感、そして精神的に大きなものを得ることと思います。
これからも、当初に、志た仏画が完成する時まで、善峯寺へ。

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