西暦2000年夏、43号より

P32より
仏壇と家庭教育
                                
善峯寺 副住職 掃部光昭

 近ごろは家庭教育の一環として仏壇を購入す るご家庭がふえているといいます。家庭の中心 に仏壇があるかということは、家庭教育に大きな違いを生むようです。

 たとえば親子の断絶とか、青少年の非行など 先祖や親に対する尊敬や感謝の気持ちを持つこ とで、ずいぶん変わってくるようです。
 つまり自分の存在は、過去から連綿と伝えら れてきた先祖の、そして産み育ててくれた親の愛なくしては考えられないわけですから、時には、親と自分をつないでいる”命の絆”の不思議さを、心静かに考えてみたいものです。

仏壇を中心とする家は、住む人の心に我執(がしゅう)がなく、仏の家に住まわせていただいているという報恩の生活、そしてあらゆるものへの感謝の気持ちと、素直に頭を下げることができる安ら ぎの心が生じてくると思います。

 私がお盆にお参りさせていただく家は、まだ幼稚園に 行っている幼い娘さんなのですが、お客様からおみやげをもらうと、必ず仏壇に供えてからでないといただかないそうです。
この家には、 先々代からの古い仏壇があり、おばあさん、そして母親がいつもそうしているのをその子も見て育ち、幼いながらも、ごく自然にそ うするものだと生活のなかで覚え込んでいるのでしょう。
 仏壇の前にちょこんと座り、小さな手を合わ せて「いただきます」といっている姿を見るたびに、とてもすがすがしい気持ちがして心がなごみます。

チーン チーン チーン ナムアミダブ ナムアミダブ

 「あっ、おばあちやんのお参りが始まった」
お孫さんがお仏壇の前へ走って行きます。
この家の朝は、おばあちやんのお参りから始まります。
「家族皆が元気でありますように、お願いします」。
お仏壇のご本尊様へお願いさ れています。
朝だけではありません。
 珍しい物を頂いた時は、まず、 お仏壇の仏様へお供えします。
さらに、朝のお水、お茶などのお初も必ずお供えをして一日を迎えます。
 お父さんが「ハイ、お土産」と出 しても、すぐに戴かないで、まず仏様へお供えしてという具合いに、 どんなことでもまず、お仏壇の仏様へお供えします。

 お仏壇は、その家のお寺であり、 家庭の精神的な中心です。
毎日、まず、お仏壇にお参りして、心静かに 自己をみつめてから次の行動を起こすことが良 い結果に結び付くと確信致します。
南無観世音菩薩       合掌

P40より
茶所の「感想つづり」より

◎2000年2月19日(土)    
静かな境内です。
昨夜の雪が花のように冬木を 飾っています。
水の音がします。
未空ちやん、翔君、元気に育っています。
みんなの健康と幸せをおねがいしました。
ズージーは、松の枝を写真におさめました。
このノートを残していただけるそうです。未空ちやん、翔君が大人になって、訪ねて来、このメモを読んでくれる姿を想いながら書いています。
本当に静かです。

小さき指 たてて未空は 風を指す  
おまえも 地球の 生き物の ひとつ
背をそらせ 腕をつっぱり一歩はう  
翔彗 おまえの 夢への 旅立ち  

菅 伸子

 
 谷間から霧が立ち登り静かに春の雨が降り、 とても静かで境内の梅は最近、香りも立ちこめ、 とてもとてもいいお参りができました。
各堂、仏様は自由に近くまで寄ってお参りがで きますし、何んの規制もなく注意等もなく、本当に有難いと思いました。

 このようなお寺さんが無くなりました。
寺の方の目はどこにもなく仏様だけがおられ心静か にお参り、合掌ができました。
平成12年3月19日 静岡県清水市     佐々木眞一(72才)                                                                   

2000年(平成12年)3月15日(水) T.S
 この前、このノートに書いたのは11/18 でも、その後チーちゃんと11月にもう一度、さら に年があけてから十輪寺の住職に、論文わたして あまり時間がなく書けなかったが、二度ばかり訪れている。

 そして今日、ついに来週に引っ越しをひかえ、 住みなれた京都をはなれる直前にもう一度よってみた。
 あたたかい早春の一月、梅の季節、そして今晩は清涼寺で「お松明」がある。
明日は私の「追 いコン」である。
 原付を買ってからこの坂道もあまり苦になら なくなり、この寺にもこの間ずい分たくさんおとずれた。
遠くにあるのに雨の日のこの寺も何度もおとずれている。
今日はとてもよく晴れて いるけれど・・・・。
 来月の今ごろは岡山大で授業をしていると思 うと我ながら、とても不思議な気がする。

 思え ばよくここまでこれたものだ。
これからどんな 生活が私に待っているのだろうか。
 年あけてから正月に和倉温泉、二月に南紀、 三月に北海道(スキー)に行って来た。「卒業旅行」としてはこれで十分であろう。もっともそ のような年でもないのだけれど。  長楽寺(円山)と異なり、京都をはなれ、原付で来れなくなれば、この寺にはめったに来れなくなるに違いない。
次にこの寺を訪れること ができるのは一体いつになるだろうか。そして そのとき、このノートをみて、私は何を思うの だろうか。
そのときにも、私はまだ一人でいる のだろうか。それとも・・・・。

 ここしばらくの晴天で、京都の各所に名残をおしみにまわっている。
昨月は円山をまわってきた。長楽寺のノートをみて、12年間の京都での生活における
「心の軌跡」をたしかめることができた。
そして、今日、これを書いて、私は京都をあとにする。
 ありがとう、京都、私の青春の地 ここで私は大きな学問上の成果をあげ、大学教員としての第一歩をふみ出すことができるようになったのだ。
今月で私も「学生」を、そして 「京都」を卒業だ。これからの長い人生、多くの幸いに恵まれることを信じて。
 そして大きな喜びがあったとき、あるいはとてもつらいこころの傷を負ったとき。
もう一度初心をとり戻したいとき。そのときに私はもう 一度ここを訪れよう。
そのときまで、静かな寺でありつづけてほしい。
さようなら、善峯寺、そ して京都
  学問成就祈願   教職成就祈願   良稼成就祈願      (3/15Pm04:13 筆)



 平成12年5月12日(金)晴れ  
修学流行2日日の今日は、東山の清水寺に始まり、そこから西へと移動してきました。金閣 へ向かうタクシーの運転手さんより、この寺のことを知らされ、今日の最後のコースに入れま した。
とても人柄のとよい方でしたので、ここ に来てみたくなりました。

 今日一日、人の多い寺ばかりを歩きましたので、ここ善峯寺を最後に選んで、本当に良かっ たと思います。

 秋がさらによいとの事、是非訪れてみたいと思います。
埼玉県行田市立見沼中 豊田純子

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