39号より  お寺の石段
                                 掃部光昭

 お寺巡りの大好きなKさんがやってきてこう申されました。
「私はお寺巡りが好きで、全国の お寺を訪ねていますが、特に西国三十三ケ所は すばらしいが、一つだけ気に入らないことがあ ります。
どうしてお寺には石段が多いのです か。
私たち老人にはひと苦労ですよ。登ったら、 また降りなければならないし・・・・」

 ほんとうに お寺には石段が多いですね。
善峯寺も石段がほ とんどです。
石段を登らないとお寺にたどり着 きません。
石段があるということは、高いとこ ろにお寺があるということですから、お寺の石段は単にお寺に行き着くための道路の一部なのでしょうか。
そうではないと思います。

 善峯寺の門をくぐると、この一瞬より世俗を 離れて観音様のおいでになる清らかな世界に 上っていくのです。
そのためには、石段を一段 一段上りながら、日ごろの生活で身と心に積 もった塵や挨を払い落とさねばなりません。
一 段一段踏みしめて、観音様の位へと上がってい く修行であるとの意味がこめられているのが、 石段だと思います。石段を登ってお寺にたどり 着き、観音様に奉拝することになり身も心も洗 い清められます。
しかし、また現実の生活のあ る世俗へ戻らねばなりません。
そのためにまた 石段を降りるのです。
清らかな心で、聖なる観音の界から世俗なる日常の生活へ再び戻る道 という意味も、石段にはこめられていると思わ れます。

 石段のあるお寺にお参りされたら、ゆっくりと一歩一歩石段を踏みしめて登ってください。
一歩ごとに、知らず知らずに身心についた塵や挨が落ちることでしょう。
日々の生活のなかで無意識に犯した罪やけがれが洗い流されるに速 いありません。
この様に説明してあげると、 じっと聞いていたKさんがいいました。
「お寺 の石段はひと苦労などと失礼なことを申しまし た。
大切な修行の道だったのですね。」
そうです――。

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