33号より なぜ仏様を拝むのでしょうか
掃部光昭
仏様にお詣りするとき、どう祈りますか。
「どうか、 身体が丈夫になりますように」、「どうか、家中の者が
病気になりませんように」 「どうか私の願いが叶えられ
ますように」 「いま、私の力ではどうにもなりません。
どうか、おたすけ下さい。」「おかげさまで、思う通り
になりました。」等々、さまざまな願いごとやお礼を言っ
て仏様に掌を合わせることが多いのではないですか。
なぜお祈りするのでしょう――。
「自分の力で一所懸命してい るのですが、あと一歩のところでお力をお貸し下さい。」
ぁるいは「この願いが叶えられると、ほんとうに助かります。どうかお願いします。」等、仏様は自分より大きな
力を発揮してたすけていただこうと期待し、すがるわけ
です。
そのときは、もう、自分は何でも出来る。
自分の思う通り世の中を動かしてゆくといったような自分の力
を過信する心はなく、自分よりももっと大いなる力があることを認めて、それにすがるという心です。
大いなる力を念ずるとき自分は謙虚になっています。
人間は何で も出来ると考えるのは思い上りです。
人間が生きてゆく のに何山つ自分の力で作り出したものはありません。
すべて他のひとのご厄介になって生かされているのです。
どんなに威張ってみても、いま呼吸している空気は自分
がつくったものではありません。
今、自分が生きていること自体が、すべて他の人や物のお世話になって生活していることで、すべてに支えられて生かせてもらってい
るものです。
また親子、兄弟、友人、近所、会社等々自分が関係している人との輪をひろげてゆくと、まさに網の目のような関わりのおかげで生かせてもらっているのだと気付いたとき、心から感謝せずにはおられません。
この仏様への感謝の気持ちが、仏様を拝む心です。
仏様 に祈る心は、「私も一所懸命に努力しますから、どうかお力をお貸しさい。」という祈りでなければなりません。
何一つ努力もしないで仏様にお願いしても、それは
かなえて下さいません。
仏様は、あくまでも私たちがしていることの後押しをして下さるのです。
仏様が力を貸 して下さるときは、それによってみんなの幸せに役立つことにつながったり、あるいは、本当に仏様のことを信ずる心が更に狭くなるときに、手をさしのべて下さいます。
それも、仏様が、直接ではなく、むしろ、周りの人
や物を通じて、そっと手助けをして下さるのです。
です から、一所懸命努力しているとき、思いもかけないよう
な人が助けて下さったり、スムーズに事が運んだりした
ときは、きっと仏様が力を貸して下さったのです。
もし、 このとき、すべて自分の力で出来たことだと思ったとき、
仏様はきっと悲しい目で、見つめておられるでしょう。
楽しいときも、悲しいときも、すべて「おかげさまで」
と、心からすなおにうけとれるとき、仏様はにっこりと
うなずいて下さいます。
仏様はいつも私たちを見守って 下さっています。
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