32号より 一年の計は元旦にあり
掃部光昭
新年あけましてお芽出とうございます。
新しい年になりますと「一年の計は元旦にあり」とい
う言葉をよく耳にします。これは、
一日の計は朝にあり
一年の計は元旦にあり
十年の計は樹を植えるにあり
百年の計は子を教えるにあり
この四句の二行目の句ですが、その言わんとする究極
は、人間の一生の大事は
「子を教うることに冬きる」ということのようです。
教えるの「教」の字は、親兄弟や友達や目上の方がた、
その他のすべてに「仕える心」 「導くす心」を教えると
いうことで、心尽くしと思いやりの「心」とやさしさを
教え育てるということです。
ところでこの善峰寺は、平安の中期、長元二年の創建とも言われ、今から約九百七十年以上の歴史があります。
九百七十年とは、人間の一世代を平均l二十年とします
と、三十二世代にあたります。
今のわたしたちからして、 この九百七十年間におけるご先祖様方はどのくらいおら
れたのでしょうか。
わたしたちの父母、そして父母を生 み出した両方の祖父母、という具合に計算してみてくだ
さい。
2+8+16+32+・・・… と三十二世代までを合計
しますと、現在の地球の全人口に匹敵するぐらいの数にのぼるといわれています。
(正月休みの折にでも、一度 計算してみてください。)
親はだれしもその身を削る思 いでわが子を育てるものです。
それは、絶対的な「無償の愛」で、さながら広大無辺な観音様の「大慈大悲の愛」
にも似た情愛です。その愛は連綿として一度もとぎれる
こともなく注がれて、今のわたし達の心と肉体を形づくっ
てきました。
そして、今度は現在の私達が九百年の後までには数十億の子孫にその遺伝子を伝え、更に千年も万年もその愛を伝えてゆくのです。
「百年の計は子を育てるにあり」とは、まさに言い得て妙と言わなければなりません。
正月にはあまりふさわしくない話かもしれませんが、坊主が書くことですのでおゆるし下さい。
先般五十一歳で亡くなられたお方の葬儀に参列しました。
五十一歳と言えばあまりにも早過ぎる死です。
晩婚ゆえにお子さんはまだ十三歳の中学生の少年でした。
その少年は 母一人子一人となった遺族の代表として、次の様に会葬者にお礼のあいさつをしていました。
「これから父が残した仕事を、人生を、父の邁志を継
いで精いっぱい頑張って生きてゆきます――。どうかみ
なさま、お力添えのほど、どうぞよろしくお願い申し上
げます。」
十三歳の少年のことばとは思えない立派なあいさつでした。
それ以上に私が感動したのは、五十一歳のお方は死んではいない、この少年の心の中にしっか
りと生きている、亡くなってはいない、ということでし
た。
そして、少年をここまで育てられたお父さんの偉大さでした。
この親子は、ただ肉体として生命を伝えている
だけでなく、心をしっかりと伝えているという感じがしました。
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